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ブレーン講師紹介

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橋上 秀樹 (はしがみ ひでき)

元プロ野球選手 プロ野球コーチ

橋上 秀樹

主な講演タイトル

  • プロ野球最強コーチの『組織と人を動かす』言葉
  • 一流になる人材、二流で終わる人材 ~名監督の参謀、各チームの戦略コーチとして見て来た条件~
  • 強い組織、弱い組織の違い ~名監督の参謀、各チームの戦略コーチとして見て来た条件~
  • 手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」
  • 野村の授業 人生を変える 『監督ミーティング』弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則
  • そのとき野村が考えていたこと ~野球論、人材育成・組織術~/ ~野村再生工場~
  • プロ野球
  • 組織と人
  • 強い組織、弱い組織
  • 育成術、
  • 人生法則
  • 組織論
  • ミーティング

講師プロフィール

安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手に転向。主に守備固めや代打のほか、左投手のときにはスタメンや代打で登場することが多かった。1992年に、自己最多出場。日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とラッキボーイ的存在になり活躍した。96年オフにトレードで日本ハムファイターズへ移籍。1998年、小笠原道大と共に左右の代打の切り札として活躍。日本ハム時代の応援歌は森範行の流用で、退団後の2000年からはチャンステーマとして使用されている。2000年10月22日に、阪神の監督に就任していた野村克也に請われ、阪神タイガースへ移籍。同年、現役を引退した。引退後、現役時代から副業でやっていたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。2005年、新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村克也の監督招聘を計画していた為、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していた。その為、二軍外野守備・走塁コーチに就任。シーズン途中に一軍外野守備・走塁コーチに昇格、2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。2009年に、野村の退任と同時に楽天を退団。楽天コーチ退任後は、日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載するなど野球評論家として活動しつつ、2010年にはスカイ・エー楽天キャンプわしづかみで数回解説者として出演。シーズン中のスカイ・Aスタジアム楽天戦の野球解説者も務めた。2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。チーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、2011年限りで退団。同年11月1日、読売ジャイアンツの一軍戦略コーチに就任。当時のゼネラルマネージャー清武英利の肝煎りで設立された戦略室の中心となる。同年には、野球日本代表の戦略コーチも務めた。2014年より一軍打撃コーチに転任。3連覇に貢献した。同年シーズン終了後、球団を退団。同年10月29日、楽天のヘッドコーチに復帰。2015年シーズン最終戦終了後に退団。2015年10月13日に2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍作戦コーチに就任。2017年からは、一軍野手総合コーチ(ヘッドコーチ格)に就任た。2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後、辞任。2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任。1996年以来26年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団を発表。

著書・書籍情報


  • 『参謀論: プロ野球最強コーチの「組織と人を動かす」言葉』(徳間書店)2019
  • 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(日本文芸社)2015
  • 『一流になるヤツ、二流で終わるヤツ―しのぎを削る野球界で見た「伸びるヤツ」の条件』(日文新書)2012
  • 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(洋泉社)2011
  • 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(双葉社)2011
  • 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則』 (日本文芸社)2010